やまがた橋物語

>>山形新聞トップ >>やまがた橋物語 >>金山川編 荒屋橋(金山)

金山川編[5]

◆荒屋橋(金山)

荒屋橋(金山)の写真 安全面に配慮し歩道橋も架かる荒屋橋=金山町

 荒屋は新田、興屋、新屋などと同じ意味の地名と言われる。「荒屋は新田を開く新屋であるとともに、水魔によって荒廃を重ねる荒れ野(や)でもあった」(金山町史)。金山川の扇状地に開かれた荒屋地区の美田は、堤防が整備されるまでは大雨が降ると水害を被った。

 新田開拓に苦労を重ねた地元の丹喜千雄さん(78)は「荒屋地区は橋で損をした」と指摘する。町場に出る最短ルートは金山川を渡って町立病院(現有床診療所)脇を通る、通称荒屋道。町道は遠回りで不便この上ない。荒屋道は住民生活に欠かせなかった。ただ、川に架かるのは丸太に土をかぶせただけの土橋。洪水の度に流失する。橋は地区の自主管理。架け替えや修復は地区が責任を負う。まだ公に「橋」として認めてもらえなかったからだ。

 一九七〇(昭和四十五)年ごろ、町が土橋に代わる「潜り橋」を造った。増水時、水面下に没する沈下橋だったが、長持ちはしなかった。橋板の下に埋めた導水管にだんだん土砂がたまり、流れが遮られ、橋がいつも水をかぶる状況に陥った。

 永久橋が県により、農道として整備されたのは八〇年。逸話が一つ残っている。当時の板垣清一郎知事を地区の集会所に招き、不完全な橋のためにこれまで住民がどんなに苦労してきたかを訴えた。その際振る舞った餅に知事が感激し、県の予算がついた-というストーリー。その時、地区の役員をしていた丹さんは「餅がうまかったかどうかはともかく、地域挙げて熱意を示したことが架橋に結び付いた」と振り返る。

 荒屋橋は一九九〇年に架け替えられ、現在に至る。長さ九二・二メートル、幅七・七メートル。二〇〇一年に隣接する歩道橋が完成、安全、安心の機能は一層充実した。

2008/11/17掲載
下流へ上流へ
[PR]
[PR]