やまがた橋物語

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赤川編第2部[4]

◆大久保橋(鶴岡)

大久保橋(鶴岡)の写真 当時小学6年生だった難波温子さんの書が銘板となった大久保橋=鶴岡市

 鶴岡市本郷の市道本郷上野線に「大久保橋」が架かる。二〇〇一年一月に新設されたPC鋼材を使ったコンクリート製の橋で、対岸に畑を持つ十数軒の地区民にとって欠かせない“生活橋”だ。

 大久保橋は延長八十七メートル、幅四メートル。建設当初は同市行沢にある庄内広域水道用水供給施設の県企業局朝日浄水場まで道路がつながる予定だったというが、今は途中で切れたままになっている。以前は約六百メートル上流に架けられた延長八十七メートルのつり橋「高瀬橋」が交通の手段だったが、明治期の設置とあって安全な橋を願う地域の声に応えて建設された。

 大久保橋のある久保集落に住む会社員難波孫啓さん(54)は赤川の対岸は「子どものころはカブトムシなど昆虫を捕まえたりする遊び場」だったと振り返る。高瀬橋は本郷からは山を越えて名川集落との運動会に向かう時に使っていた思い出深い橋だったという。

 しかし、幅一・六五メートルで、トラクターなどの農業機械や軽トラックが通行するときは大きくたわみ、「運転していると、ギシギシ音がするし、板と板のすき間から川が見えるし、いつ壊れるか心配」な状況だったと話す。まして、荷台に多くの野菜を積んで渡るときはハラハラしたという。「今ならお年寄りも安心して畑に行ける」と難波さんは感慨深げに語る。

 橋の名前を募集したときは集落名の「久保」と、赤川を「大鳥川」と呼んでいたことなどから「大久保橋」になった。橋の欄干には、当時の小学生が記した書を基に鋳鉄製の橋名の銘板が作られた。漢字と平仮名の二カ所あり、当時六年生だった難波さんの長女温子さん(20)の漢字の書も選ばれた。「私の書いた文字が残ると聞き、うれしいような恥ずかしいような感じだった。大久保橋はずっと残ってほしい」と話していた。

2008/09/04掲載
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