やまがた橋物語

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赤川編第1部[9]

◆鶴羽橋(鶴岡)

鶴羽橋(鶴岡)の写真 農産物の輸送ルート、渋滞の迂回(うかい)路として重宝されている鶴羽橋。手前に見えるのは床止=鶴岡市

 「鶴羽橋」(全長四一三・三メートル、幅九・七メートル)は、県の農免農道の整備に伴い、二〇〇五年十一月に完成した。文字通り鶴岡市斎藤川原、旧羽黒町石野新田の両地区をつなぐ。

 新しい橋だが周辺地域には歴史がある。地元の斎(いつき)郷土文化愛護会によると、この近くでは、明治維新後、旧庄内藩士が約十ヘクタールの土地を試験的に開墾し、桑の苗木などを植えたとされる。

 左岸の土手には「大正拾年八月六日赤川堤防決壊之跡地」と刻印された石柱がある。一九二一(大正十)年、長雨の影響で赤川の堤防が数カ所で決壊、鶴岡の町に大きな被害をもたらした。愛護会の阿部恒夫会長(77)が父親から伝え聞いた当時の状況を語る。「現在の鶴羽橋近くの堤防から水があふれ、数日間は水が引かず、住民は舟で移動した。上流からクマの水死体も流れてきた」

 橋から二百メートルほど下流では、川幅いっぱいにコンクリートブロックが敷き詰められた「床止(とこどめ)」が川の流れを弱めている。三四(昭和九)年、農業用水などの安定確保のため設置された。後に取水場所が代わり役目は終わったが、国土交通省酒田河川国道事務所によると、撤去すれば川床の土砂が流れ、鶴羽橋の橋脚が不安定になる恐れがあるといい、現在も残っている。

 さらに下流には交通量の多い羽黒橋。混雑を避けるように、鶴岡市街地や新潟、内陸方面へ向かう自家用車やトラックが鶴羽橋を渡っていく。庄内柿や庄内米など農産物の輸送ルートであると同時に、周辺の渋滞の緩和にも一役買っている。

2008/08/04掲載
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