やまがた橋物語

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赤川編第1部[5]

◆田田大橋(三川)

田田大橋(三川)の写真 安全な通勤、通学ができるようになった田田大橋=三川町

 三川町の青山地区から横山地区に架かる「田田(でんでん)大橋」は、県道東沼長沼余目線で国道7号と町中心部を結ぶアクセスラインとして、二〇〇四年に完成した、長さ四百十二メートル、幅十六メートル。それまでの三川新橋は、川が増水すると水中に沈む「もぐり橋」として知られ、年に数回は通行止めに。そんな厄介な橋だっただけに、田田大橋の完成は町民が熱望した。

 三川新橋は田田大橋の三百メートル上流にあった。統合中として三川中が完成した二年後の一九六一(昭和三十六)年に、対岸の東郷地区に住む中学生の通学路などとして架けられた。町が単独で、短期間で安く建設できる、ということでもぐり橋の形態となった。長さ百四メートル、幅三メートルで、周囲の畑よりも低い位置にあり、川の流れを妨げないよう防護柵も低く、転落の危険性は高かった。川が増水した時には青山の消防団が監視にあたり、通行止めにしていた。

 「安全に渡れる橋は、町民の悲願だった」と話すのは青山地区の元町内会長で元町議の佐藤進さん(77)。国道7号バイパスが開通するのに合わせ、町民の署名を集めたり、県への陳情を何度も重ね、ようやく完成した。

 通常なら川を渡って一キロ程度の距離が、通行止めになると上流の蛾眉(がび)橋まで六キロ以上迂回(うかい)することになった。中学生の中には通行止めの鎖を乗り越え、何とか渡ろうとした子もいたそうで「犠牲者が出なかったのは奇跡的」と話す人も。「子どもたちが安全に通学できるように、幅三メートルの歩道を両側に設けてもらったり、地元の意向も随分反映してもらった」という橋の名称は町民の公募で付けられた。佐藤さんは完成した時、「これで安心して赤川を渡れると、ほっとした」と振り返った。

2008/07/18掲載
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