やまがた橋物語

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赤川編第1部[4]

◆両田川橋(三川)

両田川橋(三川)の写真 中央部が赤いトラスで構成された両田川橋

 三川町の猪子地区と押切地区を結ぶ「両田川橋」。長さ三百四十五メートル、幅六メートルのこの橋は、遠くから見ても目立つ朱色のアーチ形のトラス橋が、その存在感を示す。

 三川町史と猪子地区の歴史をつづった「猪子のあゆみ」によると、押切、猪子の住民は長い間、渡し船での往来を強いられ、架橋を強く望んでいたという。一九一九(大正八)年、当時西田川郡会議員だった佐藤弥太エ門さんは住民の声を受け、架設に奔走。二二年に東西田川両郡の協議会が開かれ、「地方開発上必要なる橋」として建設が決まった。

 初代の橋は木橋で、同年七月に起工され、わずか四カ月で完成した。総工費は三万九千五百円。郡制時の東西両田川を結ぶ要路ということで、橋の名が付けられた。

 元猪子町内会長の前野和男さん(82)は「猪子と押切の人々の交流を生んだ格別な橋だった」と振り返る。洪水で橋が流されないように、上流側の前に木枠を組み立て“防波堤”とするなど、先人の知恵も見られた。しかし、四〇(昭和十五)年七月十二日の大洪水で破壊し、四五年に木橋が仮設された。和男さんの長男で現在、猪子町内会長を務める新一さん(61)は「木の橋には砂利が敷いてあり所々に穴があった。馬車を引いて押切まで米を運ぶ農家の姿もあったな」と当時を懐かしむ。

 交通量が増え、車社会の到来を感じさせた六二年。仮橋から上流へ約五十メートルの場所に、現在のコンクリート製の橋が架かった。「頑丈な橋が地域に架かり、とてもありがたかった」と前野さん親子。車や人が行き交う交通の大動脈として、今も地域住民の生活を下支えしている。

2008/07/17掲載
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