やまがた橋物語

>>山形新聞トップ >>やまがた橋物語 >>赤川編第1部 新川橋(酒田)

赤川編第1部[2]

◆新川橋(酒田)

新川橋(酒田)の写真 国道7号などの迂回(うかい)路として交通量も増えているという新川橋=酒田市

 流域沿いに大きな水害をもたらす“暴れ川”の異名を持つ赤川の河口から約三キロ上流に架かるのが「新川橋」だ。水害対策として、流路を最上川から日本海へ移し、新たな水路を造成。その分岐点に程近い場所にある。

 赤川を日本海に導くため山を掘削し、砂丘を横切る工事は一九二一(大正十)年から二七(昭和二)年にかけて行われた。造成区間は「赤川新川」と呼ばれ、昔を知る地域住民は愛着を込めて今も「新川」と呼ぶ。

 その名を残す新川橋。大規模な開削工事に伴い、当時、橋の近くで営業していた飲食店は多くの労働者でにぎわったという。新川橋近くの集落で長年暮らす榎本きよゑさん(84)=酒田市浜中=が記憶を呼び起こす。また、酒田市史編さん室の田村国雄さん(65)は「当時、飲食店で働いていた女性たちが、地元で親しまれている黒森歌舞伎の一座へ着物をプレゼントしており、その着物は今も残っている。大規模工事の影響で景気が良かったのでしょう」と思いをはせた。

 水路拡幅工事のため、現在の新川橋が完成したのは九二年。全長二百三十九メートル、幅九・七五メートル。旧橋から約百十メートル上流に移設された。旧橋の造成工事にかかわった近所の倉田峯子さん(72)は「当時は二十代前半だったが、朝から晩まで働いた記憶がある。新しい橋ができて、(旧橋が)なくなった時は寂しさを覚えた」と懐かしむ。

 地域住民は「時代の流れとともに交通量が目に見えて増えている」と口をそろえる。国道7号などの迂回(うかい)路として、大型車両の往来が目立つ。住民生活に加え、モノの流れを支える役目も担っている。

2008/07/15掲載
下流へ上流へ
[PR]
[PR]