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蔵王の樹氷「無名だった」 大正初期の発見後の20年間

2019年02月08日 08:45
1930年に発行された酢川高湯温泉の案内図。スキー場などの鳥瞰図が描かれているが、樹氷はアピールしておらず、裏面に写真が掲載されていた
 蔵王周辺の自然環境などを調べている山形大の柳沢文孝教授(地球科学)は山形蔵王の樹氷について、大正初期の発見後約20年間は「無名だった」とする研究結果をまとめ、7日発表した。宣伝物がほとんどなく、観光資源と捉えられていなかったとみられ、本県の冬の代名詞として確立するまでの歴史の一端が示された。

 山形蔵王の樹氷は1914(大正3)年に発見され、昭和10年代には映画の撮影が行われるなど認知されていた。柳沢教授は、この間の資料を分析し、知名度が高まっていく経過に迫った。山形蔵王の樹氷の宣伝がみられるようになったのは30年。温泉案内「県酢川高湯温泉」にスキー場などの鳥瞰(ちょうかん)図が載った。裏面に樹氷の写真があるが、強く押し出してはいなかったという。

 一方で当時は全国で冬山の登頂が盛んで、樹氷が相次いで見つかった。鉄道省(当時)の宣伝活動もあり、宮城蔵王や宮城からルートがあった上山、米沢の五色温泉など、各地で樹氷の絵はがきが発行された。

 山形蔵王の樹氷の絵はがきは33年以降のものしか見つかっていないという。当時の山形大山岳部長・三浦博雅さんが山岳雑誌「アルピニズム」創刊号(31年)に「蔵王の樹氷は山形県側にもあるが知られていない」旨を書いていた。

 知名度が高まるきっかけとして柳沢教授が挙げたのは、日本山岳会が東京都内で33年に開いた山岳写真資料展覧会。山形蔵王の樹氷の写真が複数出品されたという。山小屋開設、馬ぞりの運行などインフラも徐々に整い、その後のスキー大会、映画撮影などによって「他に後れを取ったが、全国的に定着していった」と分析した。

 山形市の山形大小白川キャンパスで7日に記者会見し、説明した。一連の内容は今年9月に県内で開催される「雪氷研究大会」で発表する。

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