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挑む、山形創生

第10部人を呼び込む(3) 形を変える祭り

2016/12/8 09:41

 「新庄まつり山車(やたい)行事」などで構成する「山・鉾(ほこ)・屋台行事」が今月1日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録された。260年の歴史を誇る新庄まつりは、本県の祭りの代表格だ。県内には伝統が深く根付いたそうした祭りがある一方で、時代に合わせて祭りの形を変えてきた地域もある。特に北村山は、こうした動きが活発だ。各地の夏祭りの変容は、観光客の呼び込みや地域の担い手づくりを図る上での「進化」ともいえそうだ。

スタートから20年が過ぎ、本県を代表する祭りの一つに定着した「むらやま徳内まつり」。積極的なイベント出演など、さらなる魅力発信に努めている=村山市

■風物詩に定着

 アップテンポな囃子と迫力ある踊りで、村山市の夏を華やかに彩る「むらやま徳内まつり」もその一つだ。1995年に従来の村山まつりを一新して始まったもので、徳内ばやし団体は市内全域から出演。歴史は20年ほどだが、今年も3日間で約28万人を集め、本県を代表する夏祭りに位置付けられるようになった。

 定着が進む一方、当初の10年間に比べると集客力には陰りも見られる。こうした課題を打開し、さらなる発展を目指すため、市や徳内ばやし振興会などは今年4月、「むらやま徳内まつり振興会」を設立。山形市で10月に初開催された「まるごと山形祭りだワッショイ」など、外部でのイベント出演を積極的に行い、魅力を広くPRしている。

 徳内ばやし振興会の西山真会長(69)は現在を「安定期」と表現した上で、「30年たって、ようやく伝統になる」と話す。継続的な発展のためには「新庄まつりなど、近隣の祭りと力を合わせていくことも大切になる」と力を込める。

 村山市に隣接する東根市でも、新たな取り組みが進んでいる。「ひがしね祭」の最終日を飾る「おどりの競演」。今年初めて、ヒップホップ調の創作ダンスが登場した。幅広い年齢層が親しめるように動きは簡素化しながらも、元気で躍動的なダンス。子どもたち中心のメンバーで披露され、会場を盛り上げた。

内外の踊り団体が共演する「大石田まつり維新祭」=今年8月15日、大石田町

 企画した同祭おどり部会の後藤透部会長(57)は「各チームの枠を超えた踊りをつくれば、さらなる盛り上げを図ることができる」と狙いを説明する。今後は体育の授業で取り入れてもらうなどして浸透を図り、祭りの新たな魅力に育てていきたい考えだ。

■外からの目線

 内からの視点だけではなく、「外から目線」で祭りを変えた例もある。「大石田町民の発想なんて、日本人の物の見方の1%にも満たない。もっと広い視点で考えろ」。2001年に始まった踊りの競演イベント「大石田まつり維新祭」。仕掛け人だった元町観光協会長の落合二郎さん(11年、77歳で死去)は、数々の金言を残した。その遺志は今も、維新祭を運営する「大石田まつりを10倍楽しくする会」(10倍会)のメンバーの心に刻まれる。

 落合さんは尾花沢市出身。東京や米国での会社勤務や、会社社長を経験した後の1998年、同町に移住した。時に「人と激しく衝突することもあった」個性の持ち主だったが、しがらみのない「よそ者」であったが故に自由に発言ができたという。同会の高橋堅さん(42)は「言うばりでなく実行しろ」と、強いリーダーシップを発揮した落合さんの言葉を思い出す。

 維新祭はマンネリ化が課題となっていた、大石田まつりの中の花笠踊りパレードに代わるイベントとして誕生した。「維新」のポイントは▽経済活性化のため出店は基本的に町内の商店が運営する▽より広い地域の人々と連携する―など。

 10倍会は町内の踊り団体「維新組」を新設。他の北村山地域をはじめ県内外の団体に参加を呼び掛けた結果、山形市の民俗文化サークル四方山会や、宮城、福島などの踊り団体も出演するようになった。現在は15団体ほど、500人余りの踊り手が参加し、3千~5千人の観衆を集める。10倍会実行委員長の今野雅信さん(43)は「踊りの広域連携は斬新だった」と語る。

 現状の変化を恐れず、むしろ積極的に取り込んできたそれぞれの祭り。前向きな姿勢は短期的な誘客促進だけにとどまらず、新たな伝統として次代につながっていくに違いない。(「挑む 山形創生」取材班)

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