果樹の大江さん(東根) 52歳の転職“先輩”頼り技術学ぶ
収穫前のラフランス畑でカラスよけの糸を張る大江実さん、美子さん夫妻=東根市内
[ 動画はコチラ]東根市で果樹栽培を営む大江実さん(62)は、10年前に30年以上勤務した大手企業を辞め、実家に戻って就農した。「定年退職」の4文字も頭をよぎったが、それを待たずに新たな道を歩む決心をした。「体力があるうちに(農業を)始めようと思った。果樹を育てるには、木の上での作業など労力を要するから」と振り返る。 定年を待っての就農を考えなかったのかと尋ねると「定年を迎え、いざ農業をやろうと思っても、果樹栽培は体力的にきつい。趣味程度にやるのであれば別だが、自分は本気で取り組みたいと考えた」。優しい口調から穏やかな人柄が伝わってくる大江さんの言葉に揺るぎない信念が垣間見えた。 農家の次男として生まれ、高校卒業と同時に就職のため山形を離れた。「次男はここから出ていくのが当たり前みたいな雰囲気があった。自分自身も都会に出たい思いがあった」と懐かしむ。本社は東京だが配属先は埼玉県で、会社勤めのほとんどを同県内で送り、埼玉生まれの美子さん(56)と結婚、3人の子どもに恵まれた。 大江さんが40代半ばを迎えたころ、認知症を抱えた実父と実母と一緒に埼玉で暮らすことになった。美子さんが介護に明け暮れる中、子どもたちが母親を気遣う姿に触れ、わが子の成長を実感した。そして実父、続いて実母の死をみとった。 「当時、一番下の子が中学生だったかな。以前から農業をやりたいという思いがあったが、子どもたちの成長を目の当たりにしたことも、会社を辞めて農業に踏み切る決意を後押ししてくれた」。52歳の時に家族を埼玉に残し、単身で東根へ。兄と一緒にサクランボを中心とする果樹栽培を手掛けるようになった。 会社員時代はサクランボの収穫期に帰省し、作業を手伝う程度で技術的なことは「まったく分からなかった」。そのため、新庄市の県農業大学校に1年間通い、基礎的な技術を学んだ。さまざまな書物に目を通し、知識を得ようと努力した。だが、納得のいく作物はそう簡単には作れなかった。
住居脇の園地内に建てた「みのる乃里」。農業体験や農作業を手伝う友人らが宿泊することもある=東根市東根
栽培技術に関しては「10年かかっても、まだまだ駄目」と謙遜(けんそん)するが、会社員時代の経験が十二分に発揮できている部分がある。販売面だ。会社勤めで培った人脈をフルに生かし販路を開拓。近年はサクランボの郵送案内を500〜600枚送る。観光果樹園もオープンさせ、収益増につなげている。 住居脇の園地内に「みのる乃里」と名付けた趣ある平屋を設けている。10畳間が2部屋、台所、風呂、トイレがつく。果樹園に足を運んでくれた客をもてなしたいとの発想からだ。人手が欲しい収穫期を中心に遠方の友人たちに来てもらい、泊まりがけで手伝ってもらう際にも役立っている。 今月中旬、大江さんの会社員時代の1年先輩に当たる植野文男さん(62)=埼玉県熊谷市=が妻の京子さん(54)とともに桃の収穫作業に合わせて訪れた。足しげく東根に来るようになり6年ほどになる。過度のストレスから体調を崩し59歳で退職したと言う文男さんは「自然に囲まれての作業は実に気分がいい」と満足そう。「子どもは独立し、今は妻と二人暮らし。近所の人に『山形に行ってくるので、しばらく家を空ける』と話すとうらやましがられる」と話す。 大江さんは現在、サクランボ1ヘクタール、リンゴ70アール、ラフランス60アール、桃30アールに加えて水稲20アールほどを手掛ける。最近、高齢を理由に「園地を管理してほしい」といった話を持ち掛けられる機会が増えた。周囲を見渡せば、同世代の専業農家は少ない。「自分や家族で管理できる面積、それに伴う収量には限界がある。できれば地域で連携を図り組織化を図る方法を探りたい」と大江さん。かつての同僚らを招き入れ、自然の中で旧交を温めながら充実した日々を送る就農者の陰に、担い手不足、後継者の問題が透けて見える思いがした。 (「食と農を問う」取材班)
(2010年09月26日 掲載)
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