コメから花苗づくりに転身 理想の農業実践、若者ひっぱる
ハウス内で咲き誇るマリーゴールドの花苗。灌水装置が移動しながら水を注ぐ
[ 動画はコチラ]飯豊町萩生の有限会社「後藤農場」。4.5ヘクタールほどの土地に18棟のハウスを建て、シクラメンやベゴニアなどの鉢物と、小さなポットに入れたマリーゴールドやパンジーといった花苗を季節に合わせて栽培する。社長の後藤隆英さん(62)は生産だけでなく、販売流通にかかわる必要性を感じ、1994年に生産者仲間と出荷組織をつくり、卸業にも取り組んでいる。県内外に店舗展開するホームセンターと契約を結び、受注に応じた出荷体制を確立している。後藤農場の年間売り上げは約1億円に上る。後藤さんは「魅力のある農業を実践する人がいなければ、農業をやろうという若い人は出てこない」と語る。穏やかな口調の中に強い信念を漂わせた。 後藤さんは、置賜農業高を卒業後に就農。稲作農家の後継ぎとして、コメ作りで生計を立てることは自然な流れだった。だが「農業はやりたくなかった。できれば楽してもうけたい、って思うもんだ」といたずらっぽく笑う。就農した昭和40年代前半、産業全体の機械化が大きく進展する中、休日もなく朝から晩まで体を酷使する昔ながらの農業に疑問を抱いていた。 所有する水田は約3ヘクタール。所得を上げるため、近隣農家の稲作を積極的に受託した。最終的に所有田を含め約10ヘクタールを手掛けた年もあった。作業効率を高めることで、面積当たりの労働時間の短縮、資材費などの低コスト化につなげた。その一方、転作田を活用しミニトマトの栽培にも取り組んだ。合理的な複合経営を確立した点が高く評価され、1990年に日本農業賞の金賞に輝いた。 当時、年収約3000万円だった後藤さんにとって、全国表彰の場は新たな刺激をもたらす場となった。「1億円を稼ぐ農家は全国にごろごろいた。まだまだ上がいる」 全国表彰がきっかけでマスコミに取り上げられ、後藤さんがミニトマトなど野菜苗を販売する際、客に花苗をプレゼントしている様子がテレビで流れた。それを知った大手ホームセンターから「花苗を納入してほしい」との依頼を受けた。 米価の下落傾向、減反政策、輸入自由化とコメ農家を取り巻く環境に不安を覚えていた。そんな中で舞い込んだ大口の取引先からの契約話。花苗の栽培に軸足を置きつつ、可能な範囲でコメ作りを始めたが、手入れが行き届かなくなった水田では以前のような高い収量は確保できなかった。コメ農家としての全国表彰から2年。花づくりに専念する道を歩みだした。 「近ごろは、ホームセンターなどで季節ごとにたくさんの花苗が並ぶようになったが、自分が花づくりを始めたころは、競合する生産者も全国的にそう多くはなかった」と振り返る。大口の契約先との太いパイプに加え、ガーデニングブームの追い風にも乗り、一生産者では対応できない注文に応じる必要が生じた。後藤さんは仲間8人で「飯豊町鉢花生産組合」を組織。産地化を目指して栽培技術の向上に取り組んだ。 94年に、販売流通対策として生産者と小売先をつなぐ卸業にも生産組合として乗り出し、「フラワーステーション山形」を設立。出荷先に直接卸すことで収益性を高めるためだ。後藤農場では現在、長引く消費低迷も影響し、花苗の価格は一時の高値に比べ低調だが、減収には至らず安定した売り上げを維持している。
仕事の合間に従業員と言葉を交わす後藤農場社長の後藤隆英さん
後藤農場では、97年から新規就農を志す研修生を受け入れている。これまでに35人ほどが巣立ち、後藤さんの経営をサポートする社員や、飯豊町内で独立し生産者仲間に加わった人もいる。東京で開かれた就農フェアに参加した縁で後藤農場を知った八王子市出身の厚母(あつも)稔さん(44)は2001年、都内勤務の会社員から、飯豊町でアパート住まいする研修生に転身した。02年に独立。現在、16.5アールほどの土地を借り、花づくりに励む。「個人経営の面白さも厳しさも体験した。いかに収入に結び付けていくかが問題」と頭をかきながら話す厚母さんの精悍(せいかん)な顔つきに、充実感がのぞいた。 (「食と農を問う」取材班)
(2010年04月25日 掲載)
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