食と農を問う

椹平の棚田 美しい景観支える英知と汗

日本の原風景といえる棚田だが機械での田植えは難しい部分もある。1枚でも耕作放棄が出れば美しさが損なわれてしまう=朝日町三中
日本の原風景といえる棚田だが機械での田植えは難しい部分もある。1枚でも耕作放棄が出れば美しさが損なわれてしまう=朝日町三中
 棚田の朝は早い。群青色の空が徐々に白くなる。水が張られ、鏡のようになった田は日の出とともに金色に輝く。朝日町三中(みなか)にある椹平(くぬぎだいら)の棚田。5月24日、夜が明けて間もない午前5時前には田植え機の軽快なエンジン音が響いていた。
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 最上川との高低差約100メートル。河岸段丘の高台に位置し、扇状に棚田が広がる。面積約14ヘクタール、田は190枚ほどで、平均こう配は20分の1(水平方向に20メートル行くと1メートルの高さになる)。扇の要部分には能中地区の生産農家の家々が寄り添う。ヒメサユリが咲く、小高い里山の一本松公園からは、町中心部や最上川、朝日山系まで一望できる。その優れた景観と地元住民が一体になった営農活動ゆえに1999年、「日本の棚田100選」に選ばれた。

 棚田では現在、25戸の生産者が稲作に従事し、年間約60トンの米が生産されている。耕作者の1人、志藤勝幸さん(60)=同町三中=はこの日、朝仕事で畦畔(けいはん)の草刈りを済ませた後、午前8時ごろから田植えに取り掛かった。植えたのははえぬき。ほかにもコシヒカリやひとめぼれの品種を取り入れている。リンゴ1ヘクタールとともに水田4ヘクタールを耕作しているが、そのうち棚田は3ヘクタール。長男幸一さん(27)が田植え機を運転し、勝幸さんが苗を手渡したり、田植え機が旋回する際にできた車輪の跡をならしたりと、親子息の合った共同作業だ。

 棚田といえば、傾斜に合わせてさまざまな形をした圃場が階段状に連なる様を思い浮かべがちだが、椹平の棚田は、農業機械が入ることができる長方形に整備されている田が多い。とはいえ、扇形の傾斜地となれば、中には小さく不規則な形の田もあり、田の段差は避けようもない。

25戸の農家が生産する「棚田米」を作付けする1人、志藤勝幸さん(左から2人目)
25戸の農家が生産する「棚田米」を作付けする1人、志藤勝幸さん(左から2人目)
 幸一さんが運転する田植え機は畦(あぜ)を乗り越えるたびに大きく傾き、細心の注意が必要だ。圃場を一筆書きのように田植え機を走らせて苗を植えるのが一番効率的だが、棚田の場合は形がふぞろいで難渋する。志藤さん親子はこの日、夕方までびっしり田植えに追われた。

 「農家にとって田植えや稲刈りは、終わらないと気掛かりで仕方ない」と勝幸さん。椹平棚田保全活動推進委員会の会長と朝日町土地改良区の理事長という職にもあり、すべての田に水が張られて田植えが進み、日一日と表情を変える棚田の様子には感慨深げだ。

 米価の低迷、生産農家の高齢化などによって、耕作放棄地が発生し、棚田は時代の波に翻弄(ほんろう)されてきた。そこで2003年に組織したのが椹平棚田保全活動推進委員会。耕作者と民間非営利団体(NPO)、行政が1体になった組織体制を構築した。04年には、農家、非農家、年齢や職業の枠を超えた住民90人が参加して棚田と地域の未来を考えるワークショップを開催した。そうした機運の盛り上がりの中で地域保全マップを作成。棚田フォーラムを開催し、農産加工グループ「棚田ママの会」が発足、一本松公園のヒメサユリの保護増殖にも取り組んだ。

 危機感をばねに活動は広がった。05年には地域住民協働による環境保全活動がスタート。新しいビュースポットとして「第2展望台」を整備した。一本松公園ではヒメサユリまつりも開催した。そして景観価値を付加した「棚田米」の共同販売に乗り出した。棚田での各種農作業、草刈り、農道、水路の維持補修などに協力する「椹平棚田保全隊員」を06年に募集。現在は約100人に上り、活動内容に応じて農産物と交換できる「棚田チケット」がもらえるシステムが定着している。

 「棚田米」の販売先は順次拡大し、出荷組合である椹平米生産組合から、静岡県熱海市など3つの卸業者への販路が確保されている。「食味などで厳しいハードルがあるが、生産者が努力してクリアして、棚田をブランドとして確立して勝負している」と勝幸さん。「棚田米」は、稲刈り後のくい掛けによる天日(自然)乾燥、減農薬などが注目され、有利な販売につながっている。

 営々とした取り組みの中でも、思いもかけない拍子に問題は表面化した。扇形の棚田のほぼ中心部に田を所有する80代の耕作者が米の作付けを取りやめて、畑地に転換して大豆を植えた。田が農道に接していないため、農機が入りにくい上、機械を入れたとしても操作が危ない−というのがその理由だった。この40アールほどの部分を、ほかの耕作者3人で買い受けて分け、整地代は棚田保全活動推進委員会が補助し、復田した。「棚田の中に耕作放棄地があったり、畑地が目立っては景観上支障がある。ここで作られる米のブランド価値が台無しになりかねない」と勝幸さん。棚田の景観の裏側にはこうした関係者の労苦がある。

 椹平の棚田が開発されたのは戦時中の1942(昭和17)年。田んぼも一部にはあったが、もともとは桑園だった一帯を食糧増産に向けて開田した。しかし、背後の山々が比較的浅いため、水の供給が課題だった。勝幸さんは「棚田の命は水」と言い切る。棚田には一番高い位置の扇の先端部分に用水路を巡らし、要所要所で分岐させて流下させ、全体の田んぼを潤している。

 水源は、棚田からはやや離れた野々山という山の油子沢で、地元能中地区の住民が手掘りした隧道(ずいどう)部分約300メートルを含め約600メートルの水路が供給している。しかし、この水路は上流部にあった水田が耕作放棄された事情もあり、一帯の保水力が落ちたことなどが影響して、細り気味。最上川からポンプアップした水が、これを補っている。

 幾多の試練を乗り越えて今の景観があり、棚田という生産基盤がある。およそ人がなしうる人工物の中でも、とりわけ景観美に優れた棚田が見る者の心を打つのは、人の英知や汗が背後で支えているからだろうか。

 【日本の棚田100選】棚田は、立地条件を生かした農業生産の場となり、地形を巧みに利用した生産活動を通じて、国土・環境の保全、農村の美しい原風景の形成、伝統・文化の継承など多面的な機能を発揮してきた。棚田の保全や、その整備活動を推進し、農業農村に対する理解を深めるため、農林水産省が1999年に選定した。(1)営農の取り組みが健全(2)棚田の維持管理が適切(3)地域活性化への取り組み−を基準としており、全国で134地区、県内では椹平(朝日町)のほか、大蕨(山辺町)、四ケ村(大蔵村)が選定された。
(2009年05月31日 掲載)
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