被災地からの乗客、庄内経由で首都圏に 山形の高速バス乗り場混雑
2011年03月14日
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宮城県、福島県などから移動してきた人々で長い列ができたバスターミナル。バスに乗り込むと一様にほっとした表情を浮かべた=山形市・山交ビル
山交バスはこの日、山形と新潟、仙台、鶴岡・酒田の各都市間を同ターミナルから運行。予約制の山形-新潟間に乗ることができなかった乗客が、鶴岡・酒田に向かう便に殺到した。仙台市では入手困難だったという飲料水、食べ物を口にし、乗車を待つ列は一時、300メートルほどに。窓口では「今日は乗れるのか」「JRで新潟まで行きたい」などの問い合わせが相次いだ。 11日の東日本大震災発生当時、宮城県塩釜市にある取引先のビルにいた川下秀一さん(37)=横浜市、会社員=は、塩釜市職員から「津波が来る。上に逃げろ」と告げられ、高台にある塩釜神社へと走った。振り返ると市街地は津波にのみ込まれていた。「さっきまでいたビルも1階部分が水没していた。恐怖を感じた」。約8時間かけて線路伝いに仙台市まで歩き、13日のバスで山形市まで移動。「飛行機も数日先までキャンセル待ちと聞き、新潟経由で帰ることにした。早く家族と会いたい」と話した。 出張先の宮城県名取市で被災した宮崎安通さん(63)=相模原市、会社員=は「大きな揺れで、ガードレールにつかまって必死に耐えた」。仙台市までのタクシーの車窓には、逃げ惑う人々、倒壊した家屋などが映ったという。「名取市を出るのがもう少し遅かったら、と思うとぞっとする。助かった」と続けた。 自宅のある鶴岡市に向かった大学3年生の女性(21)は震災時、仙台市内の企業で就職試験中だった。「大きな揺れで会場にいた約80人が机の下に入り、悲鳴を上げて泣いていた。実家(宮城県気仙沼市)の母と電話がつながった時は本当にほっとした」。甲府市から一緒に受験した兜森ふみ野さん(22)=大学3年=も「トラウマ(心的外傷)になりそうなぐらい、余震が怖い」と語った。大学受験で仙台市にいた女性(19)=岐阜県=は「仙台駅の2階が落ち、駅前には大きく傾いているビルもあった。試験は中止になったが、いつ再開できるのかも分からない」と不安そうだった。 JR鶴岡駅にも列 JR鶴岡駅の構内は、新潟経由で関東地方などに戻る観光客やサラリーマンらであふれた。窓口や発券機の前には長蛇の列ができ、一時は建物の外まで延びるほど。特急いなほがホームに滑り込むと、キャリーバッグやお土産を両手に提げた観光客らは、少し疲れた表情を見せながら足早に乗車していた。同僚と宮城県の松島などを観光する予定で、同県内で震災に遭った千葉県船橋市の高校教師の男性(60)は、「仙台を出て、山形から高速バスに乗って鶴岡まで来た。明日から仕事があるので、なんとか今日中に自宅に戻りたい」と話していた。 東日本大震災 記事一覧
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