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酒田大火40年~つなぐ記憶

酒田大火40年~つなぐ記憶(4) 消防団の役割と重要性

2016/10/31 09:12
酒田大火当日の写真。地元消防団員たちが消防署の隊員と共に火と戦った(酒田市立資料館提供)

 酒田大火から40年を迎えた今月29日、推定出火時間の午後5時40分に合わせ、対岸への延焼を食い止めた新井田川での一斉放水が再現された。当時は約70隊が川岸に並び、空に向かって直上放水。飛び火の原因になっていた“火の玉”の飛来を巨大な水膜で防いだ。その中心になったのが消防団。団員の奮闘がなければ、さらに延焼していた恐れがある。

■団長就任、強い思い

 酒田市消防団の佐藤薫団長(62)=酒田市関=は、10月29日が誕生日だ。その自分が40年の節目の今年、団長に就いたことに運命を感じている。今年の一斉放水再現にも、特別な思いで臨んだ。大火の記憶と消防団の重要性を伝えなければと思いを強くする。

 酒田大火に出動した最後の現役消防士の一人で、大火当日に誕生日祝いをする約束をしていた酒田地区広域行政組合消防署の池田昭年消防第一課長(60)に火事の一報をしたのも佐藤団長だった。地元の関自治会では30歳を過ぎてから消防団入りする慣習で、当時は入団前。親戚から火事の発生を聞いた。

 直線距離で7.5キロほど離れた自宅からも赤く燃える空が見えた。後日足を運ぶと、家族と買い物に行ったあの店もこの店もなくなっていた。31歳で入団し、先輩から強風と延焼の怖さを聞いた。「あんな火事を二度と起こしてはいけない」と心に刻んだ。

 当時の消防年報によると、大火に出動した消防署・団の車両は計217台、人員は計2657人。うち酒田地区消防組合が15台136人だったのに対し、酒田市消防団は116台1644人に上る。人員は10倍以上。消防隊員と共に一晩中、猛火と戦った。果たした役割の大きさは言うまでもない。

 その消防団員の減少に歯止めが掛からない。「何かあれば消防署の隊員が来てくれると思っているかもしれないが、阪神、東日本大震災のように広範囲で災害が発生したら、全員の所には来られない」と佐藤団長は指摘する。「人に頼るのではなく、自分たちが住む地域は自分たちの手で守らなければならない」

消防団の役割と自主防災の重要性について子どもたちに話す佐藤薫酒田市消防団長=26日、酒田市平田小

 阪神大震災以降、全国で自主防災組織の設置が進み、同市では95%の自治会で組織化されているものの、訓練と経験を積んだ消防団の存在は重要だ。

■子どもに伝えたい

 酒田大火の記憶と消防団の役割を子どものころから知ってもらおうと、佐藤団長は酒田市平田小のPTA会長を通じて同小に特別授業を開催してほしいと依頼し、今月26日に実現した。最後の現役消防士の一人でもある土井寿信酒田地区広域行政組合消防本部消防長が大火の惨状と、消防隊・消防団・市民が果たした役割、防火意識の重要性を話した。

 30年以上、消防団活動を続けてきた佐藤団長も「どんな火事でも最初は小さな火。出さないことが大事だし、そこで消せば大火にならない」と語り掛けた。小さな火の一番近くにいるのは住民だ。「種をまいておけば、いつか芽が出る」。子どもたちの将来に期待を寄せた。

 【メモ】1979(昭和54)年に2974人いた市消防団員(旧八幡、平田、松山町を含む)は今年4月現在で1990人。37年間で1000人近く減り、前年比でも44人少ない。市街地などでの減少が著しく、今年から光ケ丘を含む1分団と2分団が、亀ケ崎を含む3分団と4分団が統合された。

 酒田大火には市外から多くの応援消防が駆け付けた。当時の消防年報によると鶴岡、遊佐、山形、米沢、秋田県などから計86台877人に上る。うち64台714人が消防団。

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