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やまがた観光復興元年

第2部・原点に立ち返る[2] 三重・伊勢(中)

2014/2/28 10:22
昨年夏に行われた「御白石持」に参加する特別神領民。石の入ったたるを引き、伊勢神宮内宮の門前町を進む=三重県伊勢市

 伊勢神宮(三重県伊勢市)の式年遷宮で繰り広げられる一連の行事の中で、庶民が行うのが社殿に使う木材を内宮(ないくう)、外宮(げくう)に引き入れる「御木曳(おきひき)」と、真新しい御正殿(ごしょうでん)の敷地に白い石を敷き詰める「御白石持(おしらいしもち)」だ。ともに「神領民(しんりょうみん)」といわれる地元の人々が神宮への奉仕として行ってきたが、2回前の第60回遷宮(1973年)から一部に全国の神社を通じて申し込んだ人が「特別神領民」として参加できるようになった。

 二つの行事に参加した特別神領民は60回が計3万4千人、61回(93年)が計8万1千人、今回の62回(2013年)は15万人に上った。その受け入れには市民ボランティアが活躍する。13年7~9月に行われた御白石持には計20日間で7万3千人、1日当たり約4千人の特別神領民が訪れた。それを1日約500人、期間中1万人の市民がもてなした。

 白い法被に身を包んだ特別神領民は、炎天下で石を積んだ車を引き、汗を流す。ボランティアは「あと少し」「頑張って」と励まし、誘導や休憩場所での飲み物の振る舞いなどに駆け回る。

 中には、交通費や宿泊費を含めて十数万円を負担して参加する特別神領民もいる。それでも、20年に1度の特別な行事に関われる「ありがたさ」と市民の温かなもてなしに満足度は高い。古くからの参拝者が高齢化する一方で“開拓”された特別神領民は、新たなリピーターになり、その口コミ効果は絶大だ。伊勢市でも人口減少が進む。特別神領民の受け入れは伝統行事の担い手確保にもつながっている。

 かつては、ひしゃく一本を持っていれば伊勢参りの目印とされ、お金がなくても街道沿いの人たちが食べ物を差し出し、家に泊めてくれたという。伊勢の人々は、参拝者の世話をすることが伊勢神宮への奉仕につながると考えてきた。「今も1万人の市民が神宮の行事に協力するのは『おもてなしのDNA』があるから」。ボランティアの先頭に立つ御遷宮対策事務局の奥野勇事務局長(57)は言う。

式年遷宮の主要祭事が終わっても参拝客が絶えない伊勢神宮。既に次の20年に向けた誘客事業が始まっている=三重県伊勢市・内宮前

 奥野事務局長自身に「伊勢のDNA」が色濃く見える。建設会社を経営する傍ら、同事務局が発足した2004年から事務局長を務め、ボランティアやスポンサー集めに奮闘。全国から特別神領民が参加する御白石持の期間中は、毎日朝3時に起きて指揮を執る。叱る、断るといった嫌われ役も一手に引き受ける。

 こうしてつくり上げた集団が、今回の遷宮を“成功”に導いた。「そこかしこにリーダーがいて、責任と権限を持ってそれぞれの仕事をやってくれる。この組織なら何だってやれる」と奥野事務局長。伊勢市の北村勇二観光企画課長(50)は「行政だけではここまでできなかった」と振り返る。

■仕組み受け継ぐ

 数分間で数千人の特別神領民に水分補給してもらう仕組みも、参加者の健康を見守る仕組みも、自分たちで構築した。その手法は実施マニュアルにまとめ、次の遷宮につないでいく。20年に1度という親から子の世代に継がれていく絶妙な間隔で遷宮が繰り返されてきたからこそ、地域や組織が団結し、神宮の行事も信仰も受け継がれてきた。

 しかし、一方で20年は長い。将来も遷宮を続け、まちが栄えていくためには、手法やビジョンを残す必要があると伊勢の人々は考えている。200年後の遷宮のために大正時代に植樹された木のように、このマニュアルも次代への遺産となるはずだ。

■将来を見据えて

 20年前、40年前の遷宮では、ピーク時の年間参拝者が850万人前後で、その後は600万人程度まで減少している。1420万人を達成した今回(13年)、関係団体は今後減っても800万人の確保を目指すという。そのためには、情報を発信し続けなければならないし、滞在時間を延ばす工夫も必要だ。道路整備が進んだことなどで宿泊先が周辺の鳥羽や志摩などに流れており、伊勢市内への宿泊対策も課題になっている。

 伊勢の人々は、参拝者1千万人超えの大記録も「ゴールではない」とする。20年先、さらにその先を見据え、課題解決に向けた動きを既に始めている。「遷宮並みの参拝者が毎年来るなら、伊勢はきっと栄えていける。行政も民間も住民も皆が自分の問題として知恵を出し、取り組むことが重要」。奥野事務局長は強調した。

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