聖武天皇の勅命で奈良時代に開山したと伝わる寒河江市の慈恩寺。都市圏活断層図「村山」では、慈恩寺の東側に活断層を示す赤いラインが引かれている。山形盆地断層帯北部の南端にある湯野沢断層だ。
同断層は村山市湯野沢を通り、寒河江市慈恩寺方向へ走る。「慈恩寺が立つ場所は、東西から圧縮される力によって生じた逆断層運動で、出羽丘陵の裾が持ち上げられてできた地形」。山形大教授の八木浩司は話す。
万一へ備え
「山形盆地断層帯では1回の大地震による上下のずれは2、3メートル程度と想定され大きくはないが、長い間に繰り返し大地震が発生し、ずれが積み重なって数十メートルの段差となった。寺は世俗と聖なる世界を分けることが重要なので、段差が、聖なる場所へ向かう坂道として活用された。いわば、俗世と聖なる世界を分ける境界をつくっているのが活断層ともいえる」
慈恩寺の宗務長・大江幸喜(72)は「周辺に断層があるとは知らなかった」と語る。現存する慈恩寺の建物で最も古いのは国の重要文化財に指定されている本堂。1618(元和4)年、山形城主最上氏によって再建された。昨年の東日本大震災でも大きな被害はなく、長い間、重厚なたたずまいで参拝者を迎えてきた。歴史・景観上の問題もあり、単純に耐震化すればいいというものではないが「受け継ぐ人には万一への備えを考えていただければ」と大江。
活断層の周期は千年単位とされ、人間の一生の長さを考えると、身近に感じることは困難だ。政府の地震調査研究推進本部によると、湯野沢断層がある山形盆地断層帯北部が最近活動したのは約3900年前以後、約1600年前以前と推定されており、慈恩寺の開山後は一度も活動していない。しかし、日本の活断層は周期が長く「歴史時代後期に大地震をおこした活断層よりも、おこさなかった活断層のほうが、近い将来に大地震を発生させる可能性が大きいと考えなければなりません」(松田時彦「活断層」岩波新書)。
世俗と聖なる世界を分ける坂道。山門から市街地を望む=寒河江市・慈恩寺
上盤に注意
「逆断層で地震が起きた場合、断層の上盤側で特に注意が必要だ」と八木は指摘する。それはなぜか? 東西圧縮で押されて高まる上盤は、下盤に乗り上げる形で盛り上がった地形。八木によれば、地震発生時は上盤が下盤から突き上げられるようになるため、下盤より大きな被害が懸念されるという。「実際、2008年の岩手・宮城内陸地震や04年の新潟県中越地震では震源断層の上部の被害がひどかった」(八木)。そして、慈恩寺は逆断層の上盤側に位置する。
千年以上もの間、多くの人々から厚い信仰を集めてきた慈恩寺。名刹(めいさつ)の周辺から一望できる山形盆地は四季折々美しい姿を見せる。しかし、その場所が遠い過去に繰り返し起きた大地震によって形成されたことを念頭に置き、防災対策を考える必要がある。=敬称略
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