皇太子さま57歳、会見の全文

2017年2月23日

 57歳の誕生日に際し、皇太子さまが宮内記者会と会見した内容の全文は次の通り。

 -天皇陛下は昨年8月に公表された象徴の務めに対するお言葉で、即位後に象徴天皇としてご自身が歩まれてきた道や、高齢となった天皇の在り方についてお考えを表明されました。表明に至るまで、殿下は天皇陛下のお考えをいつ、どのような形でお聞きになり、表明されたお言葉をどのように受け止められましたか。今後、天皇、皇后両陛下にどのようにお過ごしになっていただきたいかという点もお聞かせください。

 昨年8月8日の天皇陛下のお言葉を、私は、愛知県での公務を終えた後の名古屋駅で厳粛な思いで伺いました。天皇陛下のお考えをいつ、どのような形でお聞きしたか、というお尋ねについては、何か特別な場でそういったお話があったというわけではありませんし、私自身は折に触れて陛下のお考えを直接お聞かせいただいたり、あるいは、そのお姿やお話しぶりから推し量ることもございましたので、明確にいつどの機会にどういった形でということを申し上げるのは難しいと思います。

 天皇陛下には、ご即位以来、長年にわたり象徴天皇としてのお務めを果たされる中で、そのあるべき姿について真摯(しんし)に模索してこられました。今回のお考えは、そうした模索と熟慮の結果を踏まえ、また、内閣をはじめ主な関係者ともご相談なさった上で、おまとめになられたものであろうと思います。思い返しますと、私が初めて両陛下のご公務にご一緒させていただいたのは、恐らく、私が4歳で、陛下が皇太子でいらっしゃった昭和39年の東京オリンピックではなかったかと思います。それ以来、ボーイスカウトのジャンボリー、高校総合体育大会、冬季スケート国体など、そういった行事にお連れいただきましたが、そのたびに、両陛下が一つ一つの行事を大切に思われ、真摯に取り組まれるお姿を間近に拝見してまいりました。ですので、今回、陛下がお言葉の中で「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないか」とお案じになられていることに、とても心を揺さぶられましたが、同時に陛下のお気持ちがそこに至った背景につきましては十分お察し申し上げていると思います。私といたしましては、陛下のお考えを真摯に重く受け止めますとともに、今後私自身が活動していくのに当たって、常に心にとどめつつ務めに取り組んでまいりたいと思います。

 また、両陛下のご健康をご案じ申し上げつつ、両陛下には、お体をお大切になさり、末永くお元気でいらっしゃることを心から願っております。それとともに、これからは、ご自身のためにお使いになる時間をもう少しお取りになれるとよろしいのではないかと思っています。

 -政府が設置した有識者会議で象徴天皇の在り方について議論が重ねられており、国民の関心も高まっています。次期皇位継承者である殿下ご自身は象徴天皇とはどのような存在で、その活動はどうあるべきとお考えでしょうか。殿下が即位されれば皇后となられる雅子さまの将来の務めについて、お二人でどのようなお話をされておられますか。

 象徴天皇については、陛下が繰り返し述べられていますように、また、私自身もこれまで何度かお話ししたように、過去の天皇が歩んでこられた道と、そしてまた、天皇は日本国、そして日本国民統合の象徴であるという憲法の規定に思いを致して、国民と苦楽を共にしながら、国民の幸せを願い、象徴とはどうあるべきか、その望ましい在り方を求め続けるということが大切であると思います。

 陛下は、お言葉の中で「天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事に当たっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」と述べられました。私も、阪神淡路大震災や東日本大震災が発生した折には、雅子と共に数度にわたり被災地を訪れ、被災された方々から直接、大切な人を失った悲しみや生活面でのご苦労などについて伺いました。とても心の痛むことでしたが、少しでも被災された方々の痛みに思いを寄せることができたのであればと願っています。また、普段の公務などでも国民の皆さんとお話をする機会が折々にありますが、そうした機会を通じ、直接国民と接することの大切さを実感しております。

 このような考えは、都を離れることがかなわなかった過去の天皇も同様に強くお持ちでいらっしゃったようです。昨年の8月、私は、愛知県西尾市の岩瀬文庫を訪れた折に、戦国時代の16世紀中頃のことですが、洪水など天候不順による飢饉(ききん)や疫病の流行に心を痛められた後奈良天皇が、苦しむ人々のために、諸国の神社や寺に奉納するために自ら写経された宸翰(しんかん)般若心経のうちの一巻を拝見する機会に恵まれました。紺色の紙に金泥で書かれた後奈良天皇の般若心経は岩瀬文庫以外にもいくつか残っていますが、そのうちの一つの奥書には「私は民の父母として、徳を行き渡らせることができず、心を痛めている」旨の天皇の思いが記されておりました。災害や疫病の流行に対して、般若心経を写経して奉納された例は、平安時代に疫病の大流行があった折の嵯峨天皇をはじめ、鎌倉時代の後嵯峨天皇、伏見天皇、南北朝時代の北朝の後光厳天皇、室町時代の後花園天皇、後土御門天皇、後柏原天皇、そして、今お話しした後奈良天皇などが挙げられます。私自身、こうした先人のなさりようを心にとどめ、国民を思い、国民のために祈るとともに、両陛下がまさになさっておられるように、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、共に悲しむ、ということを続けていきたいと思います。私が、この後奈良天皇の宸翰を拝見したのは、8月8日に天皇陛下のお言葉を伺う前日でした。時代は異なりますが、図らずも、2日続けて、天皇陛下のお気持ちに触れることができたことに深い感慨を覚えます。

 私がここ10年ほど関わっている「水」問題については、水は人々の生活にとって不可欠なものであると同時に洪水などの災害をもたらすものです。このように、「水」を切り口として、国民生活の安定、発展、豊かさや防災などに考えを巡らせていくこともできると思います。私としては、今後とも、国民の幸せや、世界各地の人々の生活向上を願っていく上での、一つの軸として、「水」問題への取り組みを大切にしていければと思っております。

 また、私のこうした思いについては、日頃から雅子とも話をしてきており、将来の務めについても話し合っていきたいと考えております。

 -ご家族について伺います。雅子さまは式典への出席が増えるなど着実に活動の幅を広げられました。殿下が感じられた雅子さまの変化や現在のご体調についてお聞かせください。愛子さまはこの1年、両殿下とのお出ましが増える一方、体調を崩され学校を長期欠席されることもありました。春には高校進学を控える愛子さまのご様子、進学や皇族としての活動など今後に寄せられる思いについてもお聞かせください。

 雅子は、治療を続ける中で、体調に気を付けながら、努力と工夫を重ね、公私にわたってできる限りの務めを果たそうとしております。その結果、昨年は、式典への出席回数も増え、また、4月の神武天皇二千六百年式年祭の儀や、6月の岩手県での復興状況視察、8月の「山の日」記念全国大会など、公的な活動を、少しずつではありますが、一つ一つ着実に積み重ねてきており、それがまた本人の自信にもつながり、活動の幅が広がってきていることを、私としてもうれしく思っております。また、東宮御所内での仕事などでも、私をよく支えてくれておりますし、愛子が体調を崩した折をはじめ、母親として愛子の成長を見守り、導いてくれていることに、心から感謝しております。

 このように、雅子は着実に回復してきておりますが、一方で、依然として体調には波もありますので、引き続き焦ることなく、慎重に少しずつ活動の幅を広げていってほしいと思います。国民の皆さまには、これまで雅子に温かく心を寄せていただいておりますことに、改めて心より感謝の気持ちを表すとともに、引き続き雅子の回復を温かく見守っていただければありがたく思います。

 愛子については、先生方や多くの友達に囲まれ、中学校生活の最後をとても有意義に、そして楽しく過ごしているようです。一時期体調を崩したこともあり、皆さまにご心配をお掛けいたしましたが、雅子の支えもあり、今は普段通り学校生活に戻っております。また、昨年は、夏休みの機会に、神武天皇山陵の参拝や、「水を考えるつどい」、「山の日」記念全国大会など、さまざまな行事や場所に3人で出掛けることができました。こうした機会を通じて、皇族としての務めについての理解を深め、また、自覚と役割を学びつつあるように思います。4月からは高校生になり、新たな環境に身を置くことになりますが、今後とも、機会を捉えていろいろな経験を積んで、人として、また、皇族の一員として、健やかに成長していくことを願っております。

 天皇皇后両陛下には、日頃、私ども家族を温かくお見守りいただいておりますことに、心から感謝申し上げます。

 -皇族方の減少や高齢化が進む中、皇室の現状や将来の在り方についてどのようにお考えでしょうか。両陛下の負担軽減や皇族方による公務の引き継ぎ、分担についての殿下のお考えもお聞かせください。

 皇室の現状についてのご質問ですが、男性皇族の割合が減り、高齢化が進んでいること、また、女性皇族は結婚により皇籍を離れなければならないということを前提とした場合に、皇族が現在行っている公務をどのように引き継ぎ、どう分担していくべきかという点は、将来の皇室の在り方とも関係し、大切な問題であると思います。そして、皇室の将来の在り方に関しては、私は、以前にも申しましたけれども、その時代時代で新しい風が吹くように、皇室の在り方もその時代時代によって変わってきていると思います。過去からさまざまなことを学び、古くからの伝統をしっかりと引き継いでいくとともに、それぞれの時代に応じて求められる皇室の在り方を追い求めていきたいと考えております。

 公務の引き継ぎや分担につきましては、お仕事の一つ一つを心から大切にしてこられた陛下のお気持ちを十分に踏まえながら、私をはじめ、皇族が適切に役割を担っていくことが重要であると思います。一昨年から、こどもの日と敬老の日にちなんでの施設訪問を両陛下から秋篠宮と共に受け継がせていただきましたし、昨年は、小中学校長の拝謁(はいえつ)および国際緊急援助隊・国際平和協力隊の接見を私が引き継がせていただくことになりました。また、昨日まで、陛下の名代として第8回アジア冬季競技大会の開会式に出席するため、北海道を訪れておりました。私としては、今後とも、引き継がせていただいた公務を大切に務めながら、少しでもお役に立つことがあれば、喜んでできる限りのお手伝いをしてまいりたいと思っています。

 なお、皇室の制度面の事柄については、私が言及することは控えたいと思います。

 -この1年を振り返り、印象に残った公務や社会、皇室の出来事についてお聞かせください。

 この1年を振り返ると、昨年と同じように、国内外で多くの自然災害が発生し、各地で人々に大きな被害をもたらすとともに、多数の方々の命を奪ったことを、とても残念に思います。日本では、4月に発生した熊本地震により、被災者は今なお不安を抱えながら生活を続けておられると聞いております。8月末に東北地方と北海道を襲った台風10号による大雨は、北海道や、震災からの復興という険しい道のりを歩む岩手県に大きな傷跡を残しました。世界に目を向けても、エクアドルやイタリアなどで地震が発生し、それぞれ数百名が亡くなられるなど、人々の生活に大きな影響を与えています。こうした災害により、不幸にも犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々に心よりお見舞いを申し上げます。

 東日本大震災の発生から今年の3月で6年となりますが、昨年6月、復興状況視察のため岩手県を訪れました折には、着実に復興が進んでいることを実感すると同時に、引き続き仮設住宅にお住まいの方々がご苦労を重ねながら日々暮らしていらっしゃることを伺い、心が痛みました。被災された方々が一日も早く安心して暮らせるよう、被災者お一人お一人のご健康と幸せを祈りながら、今後とも、雅子と共に、被災者に寄り添い、被災地の復興に永く心を寄せていきたいと思います。

 そのほか、国内の出来事としては、7月下旬、神奈川県の障害者施設が襲われ19人もの尊い命が失われた事件に、大きな衝撃を受けました。また、高齢者による交通事故のニュースや子供を含む格差の問題もよく目にするようになったと感じており、気に懸かっております。日本国外でも、依然として世界各地でテロ事件が頻発しており、難民の問題もいまだ解決の糸口が見えておりません。そのような中で、リオデジャネイロのオリンピック・パラリンピック大会では、難民選手団が結成され、人々の拍手に応えて明るい表情で入場行進をしている姿には、安堵(あんど)と喜びを覚えました。現在の世の中で、特に子供やお年寄り、障害者といった社会的に弱い立場にいる人々が犠牲になっていることは、とても残念に思います。全ての人が広い心を持って、お互いを尊重し合い、こうした弱い立場にある人々を含め、皆が安心して暮らせる社会を構築するために、地域社会、さらには国際社会全体が一つになって知恵を出し合い、協力していくことが、より一層求められる時代になっていると感じます。

 明るいニュースとしましては、夏のリオデジャネイロでのオリンピック・パラリンピックにおける日本選手団の活躍や、長年にわたるオートファジーの研究を評価された大隅良典博士のノーベル生理学・医学賞受賞などがありました。世界の中で日本人がそれぞれの分野で高く評価され、あるいは、世界の第一線で活躍していることの証であり、とてもうれしく思います。

 皇室の出来事としては、やはり昨年10月に三笠宮崇仁親王殿下が薨去(こうきょ)されたことが思い出されます。三笠宮殿下には、私が学生だった時代、歴史研究のお話を伺い、研究者としての心構え、姿勢を学ばせていただいたことを感慨深く思い出します。また、私のみならず、雅子も愛子も、本当によくしていただきましたので、改めて、これまで私たちに寄せていただいたご厚意に感謝申し上げるとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。また、わが国皇室と関係の深かったタイのプミポン国王が崩御されたことも、悲しい出来事でした。タイ王室の方々とタイ国民の皆様に対して、心から哀悼の意を表したいと思います。

 印象に残った公務についての質問ですけれども、地方や都内での式典や視察、東宮御所内での行事など、いずれもそれぞれに特徴があり、印象深いものでしたので、特にこの公務と挙げることは難しいと思います。この週末に訪れた北海道を含め、地方訪問では、暑さや寒さの厳しい時もありましたが、長い時間沿道に立ち並び、いつも、私や、雅子も一緒の時には私たち2人を、温かく笑顔で迎えてくださった方々のお気持ちを、とてもうれしく思いました。また、視察先や東宮御所での行事などで、若い世代の方々とお話をする機会がありますが、皆さんが、目を輝かせながら自分たちの進みたい道を力強く語られるのを見て、とても心強く思いました。

 なお、この1年間、私たち家族としては、活動の幅を広げることができた1年ではなかったかと思います。先ほどもお話ししましたように、雅子は、治療を続けながら、努力と工夫を重ね、岩手県での復興状況視察、長野県での「山の日」記念全国大会、岐阜県での農業担い手サミットのほか、賢所での神武天皇二千六百年式年祭の儀や、都内での式典にも数多く出席するなど、公的な活動を少しずつですが着実に積み重ねることができました。また、愛子も、8月の「水を考えるつどい」の機会に初めての式典参加を経験するなど、さまざまな行事に3人で出掛けることができました。国民の皆さまが私たちを温かく見守り、また、支えてくださったことに、改めて心から感謝いたします。

関連質問
 -第1問と第2問の象徴天皇の在り方に関連してお伺いします。殿下のお答えでかなり具体的に殿下のお考え理解できたのですが、あえてもう1回お尋ねいたします。昨年8月の天皇陛下のお言葉以来、象徴天皇というのはどのような在り方がふさわしいのかというさまざまな議論がありました。大きく分けると、いろいろな議論が出たのですが、一つは天皇というのは存在自体が重要である、そういう考え方と、活動してこそが象徴天皇であると、二つの考え方が大きく分ければ出たと言えるのですけれども、そのうちの一つの存在すればいいという天皇観は、似ていると言えば、戦前の神格化された天皇観ですね、こういうものに似ていると思うのですが、現代ではそういう考え方は少数であるとは思うのですけれども、日本社会に根強くそういう考えの方がいらっしゃるというのも事実だと思いますけれども、そのことに関して、殿下はどのようなお考えをお持ちでしょうか。

 今お話のあったような、天皇に関しては二つの考え方があるということは私も承知しております。そして今、会見の席でもお話ししましたように、私としましても、象徴天皇の在り方というのをいろいろ本当に真摯に考えてまいっているところであります。象徴天皇についていろいろな考え方があるということは私も承知しておりますが、私自身としては、やはりいろいろと今後とも勉強しながら、象徴天皇の在り方というものを、今の陛下の例に倣いつつ考えていきたいと思っております。

 -今の質問とも若干関連しますが、先ほど殿下のお話の中で、次期皇位継承者としての象徴天皇像について、過去の長い天皇の歩みを振り返り、後奈良天皇のご宸翰のご紹介がありましたが、もう一つ天皇の長い歴史の中で譲位という形態が近代以前においては常態化してたわけですが、殿下の、長い皇室の歴史から見て、また次期天皇になられるお立場から、両陛下のお立場になられたときに置き換えて、その譲位について、日頃お考えになられていることがありましたら、お聞かせいただければと思います。

 私自身、大学で日本中世史を勉強しておりました。特に鎌倉時代、室町時代の主に交通、あるいは流通史を中心に学んでいたわけですけれども、私自身、中世史を研究しているという関係で、譲位された天皇がおられるという事実は承知しております。私からは、特にそれ以上のことは、今申し上げるのは控えたいと思います。
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